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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)11703号 判決

反訴原告

奥村重治

反訴被告

有限会社桐生屋商店

ほか二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告らは各自、原告に対し四一四七万五一八五円及びこれに対する昭和五八年九月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和五八年九月一九日午後二時三〇分ころ原動機付自転車(北区く三二二三号、以下「原告車」という)を運転して東京都豊島区西巣鴨四丁目二〇番八号先道路を走行中、折から右道路左側端に停車中の普通貨物自動車(練馬四五さ四四八三号、以下「被告車」という)の右側方を通過しようとした際、被告車の後部座席に同乗していた樋口七三夏(当時五歳、以下「七三夏」という)が下車のため開扉した後部右側ドアに接触し、原告車もろとも転倒した(以下「本件事故」という)

2  傷害の内容・程度と治療経過

(一) 原告は、本件事故により頭部、胸部、右上肢、両膝及び左手の各挫傷、右肩甲骨骨折、右視野狭窄、神経障害を被り、その治療のため次のとおり入通院を強いられた。

(二) 入通院の経過は次のとおりである。

(1) 豊島中央病院入院(昭和五八年九月一九日から同年一〇月二六日まで三八日間)

頭部、胸部、右上肢、両膝、左手挫傷、右肩甲骨骨折の治療を主として行い、この間物忘れ、不眠、イライラ、うつ病、視力低下・視野狭窄、頸部痛及び両下腿のしびれ等の症状があつた。

(2) 同病院通院(昭和五八年一〇月二七日から昭和六〇年二月一二日までの間に八五日)

右の間整形外科の治療を受けたほか、心療内科において健忘症、不眠症、イライラ、狂暴、うつ症状の治療を、更に投薬の副作用による胃潰瘍の検査を受けた。

(3) 秋山眼科医院通院(以下「秋山眼科」という。昭和五九年一月一一日及び一四日の二日)

視力低下及び右眼の複視症状のため視力検査を受ける。

(4) 癌研究会付属病院眼科通院(以下「癌研付属病院」という。昭和五九年一月一八日及び二七日の二日)

視力低下に加え、特に下り坂歩行中斜度を正確に知覚できないため五、六回転倒するような状態が生じたため検査を受けた。

(5) 西ケ原病院神経科通院(以下「西ケ原病院」という。昭和五九年三月二二日、同年一〇月一九日、昭和六〇年一月四日の三日)

うつ状態(自暴自棄的状態を呈した)のため投薬治療を受けた。

(6) 東京逓信病院眼科通院(以下「東京逓信病院」という。昭和五九年四月一四日、一九日及び同年五月一〇日の三日)

右眼視野狭窄の検査を受ける。

(7) 帝京大学医学部付属病院精神神経科通院(以下「帝京大病院」という。昭和五九年七月二五日)

健忘症、不眠症、イライラ、狂暴、うつ症状のため検査を受ける。

(8) 東京健生病院神経科通院(以下「東京健生病院」という。昭和五九年八月一七日)

健忘症、不眠症、イライラ、狂暴、うつ症状のため検査を受ける。

(9) 代々木病院精神科通院(以下「代々木病院」という。昭和六〇年三月九日以降通院継続中)

神経障害(知能障害、性格障害、てんかんの疑い)で投薬、湿布治療を受けている。

(三) 右治療によるも原告の症状は改善せず、現在知能障害、性格障害(明朗闊達で人に対する統率能力に優れていたのに、怒りつぽくなり、家庭において妻にひどい暴力行為を行うようになつた)、てんかんの疑いのほか左不全麻痺、視野狭窄、けいれんなどの神経障害等の後遺障害に苦しめられている。

なお、原告は本件事故前(昭和五〇年八月二三日)に自宅二階から転落する事故(以下「本件転落事故」という)に遇つているが、その後本件事故当時まで正常な健康状態で勤務し、有能な社員として働いていたのであり、前記諸症状は右転落事故とは因果関係がなく、すべて本件事故によるものであることが明らかである。

3  被告らの責任原因

被告有限会社桐生屋商店は被告車を所有し、自己のため運行の用に供していた者であるから自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)三条により、被告樋口昌男、同樋口秀子は責任能力を欠く七三夏の親権者であるから民法七一四条により、原告が本件事故により被つた損害を賠償すべき責任がある。

4  損害 四一四七万五一八五円

(一) 治療費 一七六万九三三〇円

(1) 豊島中央病院 一六九万七二〇〇円

(2) 秋山眼科 一八〇〇円

(3) 東京逓信病院 三万二六五〇円

(4) 癌研付属病院 八〇〇円

(5) 代々木病院 三万六八八〇円

ただし、昭和六〇年四月二〇日から昭和六一年四月三〇日までの分

(二) 通院交通費 二一万一九八〇円

(一)ないし(七)は一回当たり二〇〇〇円として算定する。

(1) 豊島中央病院(八五回) 一七万円

(2) 秋山眼科(二回分) 四〇〇〇円

(3) 癌研付属病院(二回分) 四〇〇〇円

(4) 西ケ原病院(三回分) 六〇〇〇円

(5) 東京逓信病院(三回分) 六〇〇〇円

(6) 帝京大病院(一回分) 二〇〇〇円

(7) 東京健生病院(一回分) 二〇〇〇円

(8) 代々木病院(二九回分) 一万七九八〇円

ただし一回当たり六二〇円である。

(三) 入院雑費 三万八〇〇〇円

一日当たり一〇〇〇円として三八日分

(四) 看護費 二九万二三〇八円

豊島中央病院における入院中の看護費用

(五) 洋服代 一二万八〇〇〇円

(六) メガネ代 一〇万〇二〇〇円

(七) 休業損害 二四万二七一一円

原告は本件事故当時訴外小倉電機工業株式会社(以下「小倉電機」という)に勤務し、事故前三か月間に五〇万八〇〇〇円の収入を得ていたところ、前記受傷のため昭和五八年九月一九日から同年一〇月三一日まで四三日間欠勤し、二四万二七一一円(50万8000円÷90日×43日)の休業損害を被つた。

(八) 入通院慰藉料 一五〇万円

(九) 後遺症慰藉料 一〇〇〇万円

(一〇) 逸失利益 二四一九万二六五六円

原告は神経系統の機能又は精神に著しい後遺障害を残し、随時介護を要するものであるから(自賠法施行令二条別表掲記の後遺障害等級(以下「後遺障害等級」という)第二級に該当する)、労働能力喪失率は一〇〇パーセントである。右後遺障害のため、原告は昭和六〇年六月三〇日勤務先である訴外築波電設株式会社(以下「築波電設」という)を解雇された。右当時原告は満五六歳であつたから、一か月当たりの収入を二四万二七一一円、就労可能年数を一一年とし、中間利息控除につきライプニッツ方式を採用して右の間の逸失利益の現価を算定すると、次式のとおり二四一九万二六五六円となる。

24万2711円×12月×8.9064=2419万2656円

(一一) 弁護士費用 三〇〇万円

5  よつて、原告は被告ら各自に対し損害賠償金四一四七万五一八五円及びこれに対する不法行為時である昭和五八年九月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める。

二  被告らの認否

1  請求原因1は認める。

2  同2は、(一)につき原告主張の受傷名が付せられていることは認めるが、実際にそのような受傷があつたかどうかは不知。(二)(1)の入院期間、(二)(2)の通院期間のうち昭和五八年一〇月二七日から昭和五九年七月一〇日までの間の四〇日、(二)の(3)、(4)及び(6)の通院の各事実は認めるがその余の(二)の主張事実は不知。(三)の事実は転落事故の点を除き不知ないし争う。仮に原告に主張のような症状があるとしても、本件事故との間に因果関係がない。原告主張の諸症状は本件事故以前にもみられており、また原告は本件事故前、二階から転落して意識不明の重傷を負うなどしておりその際の後遺障害が残存しているのであつて、本件事故による影響は仮にあつてもわずかなものである。ちなみに、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という)の認定(事前認定)する原告の後遺障害等級は第一四級一〇号である。

3  同3は認める。

4  同4は、(一)の(1)ないし(4)は認める。(5)はその主張額を要していることは認めるが、本件事故とは因果関係がない。(二)の(1)は症状固定日である昭和五九年七月一〇日までの四〇回分と(2)、(3)及び(5)は認めるが、その余は本件事故と因果関係がない。(三)は認める。(四)は昭和五八年九月一九日から同月三〇日までの一〇万九五九八円は認めるが、その余は付添看護の必要性が認められないから本件事故と因果関係がない(五)ないし(七)は認める。(八)ないし(一一)は不知ないし争う。

三  弁済の抗弁

被告らは本件事故による損害賠償として三三〇万三九三〇円を原告に支払い、原告の損害はすべて填補されており、残存損害はない。その内訳は次のとおりである。

1  治療費 一七三万二四五〇円

(一) 豊島中央病院 一六九万七二〇〇円

なお同病院の治療費総額は一八六万〇七五〇円であつたが、被告らの減額交渉の結果頭書の金額とすることで合意が成立したものである。

(二) 東京逓信病院 三万二六五〇円

(三) 秋山眼科 一八〇〇円

(四) 癌研付属病院 八〇〇円

2  看護費 一〇万九五九八円

3  メガネ代 三万五〇〇〇円

4  通院交通費 三万九五三〇円

5  洋服代 一二万八〇〇〇円

6  慰藉料、休業損害等 一二五万九三五二円

四  抗弁に対する認否

被告主張の限度で損害が填補されていることは認める。ただし、原告の損害は右にとどまらないのであるから、損害のすべてが填補されているとの主張は争う。

第三証拠

証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで本件事故による原告の傷害の内容・程度、治療の経過等について判断する。

1  前記争いのない事実の成立に争いのない甲第三、四号証の各一、二、第六号証(乙第一二号証と同一)、第七号証の一、同号証の二の一ないし一〇、第二二号証の一、二、乙第三ないし一二号証(甲第六号証と同一)、第二〇ないし二二号証、第二六号証、第二七号証の一ないし八、第二八、二九号証、第三四号証の一ないし三(甲第三、第七号証、乙第九、第二一号証は原本の存在とも)、弁論の全趣旨により成立を認める乙第三二、三三号証及び証人奥村安子の証言(後記措信しない部分を除く)によれば、以下の事実が認められ、証人奥村安子の証言中右認定に反する部分はその余の前掲証拠に照らして措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告(昭和三年一月一日生)は時速約一〇キロメートルの速度で被告車の側方を通過した際、折悪しく七三夏の開けた同車の後部ドアに左側ハンドルが接触し、走行の安定を失つて四、五メートル先に原告車もろとも転倒した。原告車は右事故によりハンドルが曲損した。

(二)  原告は右事故により頭部、胸部、右上肢、両膝及び左手の各挫傷並びに右肩甲骨骨折の傷害を負い、直ちに豊島中央病院に救急車で担送され、即入院した。

原告は、右担送時意識は明瞭であり、身体各所の打撲痛、疼痛を訴えているが、頭痛、嘔気、めまいの症状はなく、担送直後ころから盛んに不眠、食欲不振を訴え、睡眠剤の投与、点滴の施行を求めている。入院は昭和五八年一〇月二六日の退院までの三八日に及ぶが、この間退院近くまで各所の打撲痛、疼痛、手足のしびれ感を訴えているものの、頭部CTスキヤン、脳波検査の結果には異常はなく(入院期間中頭痛、嘔気の訴えは全くない)、右肩甲骨骨折も手術を要するような重いものではない。むしろ、目につくのは、終始不眠、食欲不振、胃部不快、便秘を訴え、これらに対し投薬処置が繰り返されていることである。右入院中、事故前に発症していた十二指腸潰瘍の羅患が発見され、合わせて胃潰瘍の既応歴も確認されている。なお、時に右眼の福視を訴えている。退院の一週間前には改めてレントゲン撮影等により骨癒合状態等少なくとも整形外科的全身状態については良好な回復が確認され、更に外泊による経過観察も踏まえた上で退院に至つている。

退院後は昭和六〇年三月ころまで同病院の主として心療内科に外来通院しているところ、昭和五九年二月ころまでは右肩痛、右肩の運動制限、手、足(膝)痛などの訴えが目立つが、同年三月ころからは、手足のしびれ、胸痛等の整形外科上の訴えもないではないが(ただし一度も理学上異常は認められていない)、記憶力低下ないし健忘、不眠、イライラ、おこりつぽい、狂暴(妻の殴打)、右眼の視野狭窄、食欲不振、全身のだるさ、しびれ、集中力の欠如ないし根気の喪失等の訴えが繰り返されるようになるとともに、うつ状態の診断が下されるに至つている。このような症状の訴えは通院期間中継続しており、また、昭和六〇年一月一六日には仕事先で階段から転落し、右第七助骨骨折、背部挫傷の障害を負うなどしている(その前から眼の具合の悪さや斜度が分かりにくいなどと訴えている)。

なお、同病院の原告に対する傷病名として、外傷性頸部症候群、胃潰瘍(心身症)、脳動脈硬化症、頭部・胸部・右上肢・両膝・左手挫傷、右肩甲骨骨折、肝機能障害、背部挫傷、第七助骨骨折が診療録に記載されている。また、同病院の診断では症状固定時期は昭和五九年七月一〇日とされている。

(三)  原告は、豊島中央病院に通院中請求原因2(二)(3)ないし(8)のとおり(ただし、(5)の西ケ原病院の通院全貌に関しては後に指摘するとおりである)、右眼の複視、視野狭窄、うつ症状、健忘症、不眠症等の検査、治療のため他の病院に通院をしているが右により症状の訴えの改善はみられない。

右のうち眼の異常を訴える点については、矯正視力(両眼遠視性乱視である)、色覚は正常であり、眼底、前眼部にも異常は認められず、視野狭窄のみが問題であるところ、癌研付属病院の検査では視野は正常とされている。これに対し、東京逓信病院で三回の検査の結果視野狭窄の所見が得られているものの、四回目の検査(昭和六一年一一月二〇日)の際に原告が眼瞼を細めるため(視野が狭くなる)、視野測定が不能となつている。このため、同病院では前の検査時(殊に第二、三回)にも原告が同様の所作を加えた疑いを否定できないとし、癌研付属病院の前記検査結果と合わせ、原告の視野の状態については明確な所見が出せないと指摘している。

なお、原告は本件事故後も自動車運転免許の更新手続を了し、運転を行つている。

(四)  前記通院、治療によるも症状の訴え(特に精神障害面と視野狭窄)に改善のない原告は、西ケ原病院、豊島中央病院の投薬治療を継続中の昭和六〇年三月初旬から知人の紹介により代々木病院精神科に通院を始め、本件事故による頭部外傷後遺症の診断名の下に中沢正夫医師(以下「中沢医師」という)の治療を続け、今日に至つている。

同病院でも原告の訴える症状には従来と大差がない。すなわち、手・足・腰等の痛み、手足のしびれ、足底、頸部のしびれやつれる感じのほか、視野狭窄、健忘、不眠、イライラ、怒りつぽいないし狂暴、うつ症状等である。これに対し、中沢医師は記銘力の低下、性格変化を中心とする強度の精神機能低下状態を認めているほか、左不全麻痺、視野狭窄、けいれんなどの身体神経症状があるとし、すべて本件事故によるものと診断している。

ちなみに、中沢医師の治療、診断は、昭和六二年二月一六日(甲二〇号証の反論書の作成年月日)前ころまでは、右各症状が本件事故後に出現したものであるとの原告の訴えを前提にしたものであり、同医師は本件事故以前の原告の病歴、事故歴等に関する情報を得ていなかつた。

(五)  ところで、原告は本件事故前にも事故による受傷歴、病歴があり、いくつかの病院で長期間の入院、通院治療を繰り返している。

原告は昭和五二年三月三一日から、うつ状態、頭部外傷後遺症の診断名で西ケ原病院の受診、治療を開始しているが、当初の問診で担当医に対し、次のように述べている。すなわち、昭和五〇年八月二三日自宅二階から転落して頭部を打ち、岸病院に四五日間入院して治療を受けたが、二日間意識がなく、二〇日間くらい健忘があり、以前不全感がある。また、昭和五一年一月ころ胆石で入院したほか、同年九月ころからうつ状態が著しくなるとともに、そのころ胃潰瘍で吐血して滝野川病院に入院し、なお通院している(同病院の紹介で西ケ原病院に来院したもの)。本件転落事故以来の自覚症状は頭がいつも酔つぱらつているよう、脳の表面に濡れ紙が貼りついているような感じ、根気がなくなつた、やる気が起きない、不眠、イライラ、趣味の釣もめんどうで行く気がしない、不景気で経営している注文服業の資金繰りが苦しい、先を読み取ることができず何をしてもうまくいかないのではないかと考えてしまう等々である。なお、右症状を訴える原告は、眉をひそめ、苦悩の表情を示し、うつ状態が明らかに診て取れるものであつた。

その後本件事故まで六年余の間西ケ原病院のカルテにみられる原告の症状は、右の脳の濡れ紙、不眠、イライラ等のほか微熱の頻発、強度の健忘(メモを取るが溜つて仕方がない)、諜るのがおつくう、憂うつ、倦怠感、よろめき、自暴自棄的、怒りつぽい、妻に対する暴言(「別れるとぶつ殺してやる」など)、暴力行為、右眼の視野狭窄、胃の不調(胃潰瘍の再発)、左足首関節の捻挫(治癒に長期を要している)、数回にわたる一〇キログラム以上の急激な体重の減少等である。もつとも、原告が仕事や生活等の現実から離れ、一切の精神的負担から解放された状況で転地療養を行つている間は、右の症状は頻著に軽快している。

右西ケ原病院の通院、投薬は本件事故を経て昭和六〇年四月末ころまで継続しており、一年以上もの長期間豊島中央病院のそれと併行しているが、この間昭和五五年一一月五日に原告に対しCMI健康調査表が実施されている。右は、一九五項目の質問に対し、「はい」、「いいえ」で答える形式のものであるが、原告が「はい」と答えた質問の主なものを摘記すると次のとおりである。「よくせきばらいをしますか」、「微熱がありますか」、「動悸がして苦しくなることがよくありますか」、「心臓が狂つたように早く打つことがありますか」、「ときどき脈が狂うことがありますか」、「足がひどくはれることがよくありますか」、「脚がひきつることがよくありますか」、「舌がいつも真白でざらざらしていますか」、「食べ物の好き嫌いがひどいですか」、「いつも胃のぐあいが悪いですか」、「ひどい便秘症ですか」、「関節が痛んでよくはれることがありますか」、「筋肉や関節がいつもこわばつていますか」、「腕や脚によくひどい痛みがありますか」、「脚がだるいですか」、「仕事にさしつかえるくらい背中や腰が痛みますか」、「からだのどこかにきかなくなつたところがありますか」、「頭が重かつたり痛んだりしてふさぎこむことがよくありますか」、「今までに二回以上気を失つたことがありますか」、「いつもからだのどこかにしびれや痛みがありますか」、「からだのどこかがまひしたことがありますか」、「頭を打つて気を失つたことがありますか」、「毎晩小便に起きますか」、「疲れはててぐつたりなることがよくありますか」、「仕事をすると疲れきつてしまいますか」、「ひどい神経衰弱にかかつていますか」、「よく病気をしますか」、「よく病気で寝込みますか」、「いつもからだの具合がわるいですか」、「自分の健康のことが気になつて仕方がないですか」、「いつも病気がちで不幸ですか」、「大けがをしたことがありますか」、「よくちよつとした事故を起こしたりけがをしたりしますか」、「寝つきがわるかつたり、眠つてもすぐ目を覚ましやすいですか」、「いつもそばに相談相手がほしいですか」、「いつもみじめで気持ちが浮かないですか」、「いつそ死んでしまいたいと思うことがよくありますか」、「ひどいノイローゼ(神経症)にかかつたことがありますか」、「感情を害しやすいですか」、「人からよく誤解されますか」、「友達にも気を許さないですか」、「何かしようと思つたらいても立つてもおれなくなりますか」、「すぐかあつとなつたり、いらいらしたりしますか」、「ひどく腹を立てることがよくありますか」等。

(六)  原告は、昭和二九年に結婚した当時は紳士服問屋に勤務し、昭和三八年ころからは自ら会社を設立して紳士服の注文業を営んでいたところ、昭和五一年ころから会社経営の資金繰りに支障が生ずるようになつた。その後も会社経営は好転しないまま、昭和五四年暮ころまでは細々とながら営業を続けたものの、うつ状態等体調不全から営業意欲を喪い、昭和五五年になつてからは、事実上営業を停止する状態に至つた。

昭和五六年になつて、原告はそれまでの職歴とは全く畑の異なる新光電機工業株式会社に入社したが、その翌年には筑波電設に、またその翌年には小倉電機にそれぞれ転入社し、更に、昭和五八年暮ころ再び筑波電設に入社した。原告は、この間管理職の地位にあり、常に会社から重視され、期待されていると思い、重い責任感を感じていた。そして原告は、うつ状態、健忘等が激しくなり、仕事の遂行に多大の支障を来たすようになつて、昭和六〇年六月三〇日同会社を実質的に解雇され、退職した。また、この間昭和五九年三月ころ原告の妻が子宮癌で癌研付属病院に入院する事態が生じている。

かくして原告は昭和六〇年六月末以来失業状態に陥り、収入はなく、専ら妻の働きにより生計を維持するようになつた。筑波電設を解雇されて以来の原告は、通院時以外は終日家で寝ていることが多く、病後を押して働きに出ている妻が帰宅後疲れた素振りをみせると、怒りを爆発させて妻に対し激しい暴力を振うようなことが段々と頻繁になつた。このため、隔離の意味もあつて、昭和六二年暮ころから入院のやむなきに至つているが、退院の目途が立たない状態である。

(七)  自賠責保険のいわゆる後遺障害等級事前認定によると、原告の本件事故による後遺障害等級について一四級一〇号該当の認定がされている。

また、原告は昭和六二年一月東京都から三級の身体障害(頭部外傷による体幹機能障害)者認定を受けている。

2  以上認定の事実を踏まえて原告主張の後遺障害と本件事故との因果関係を検討するのに、右後遺障害の中心が頭部外傷による知能障害、性格障害、及びその他の神経障害にあるとする(代々木病院中沢医師の所見に基づくもの)以上、先ず頭部への打撃の程度いかんは極めて重要な判断資料とされるべきところ、前記認定の本件事故の態様・程度、受傷の内容・程度ないし事故直後からの原告の病状の経過(意識障害はもちろん危険な頭部強打を推認させる吐気、頭痛は全くない。なお、骨折、挫傷の程度も重度なものではない)、事故後のCTスキヤンや脳波検査の結果に脳損傷をうかがわせるような特段の異常所見は得られていないこと等によれば、本件事故による頭部への打撃の程度は仮にこれがあつたとしてもさしたるものとは認め難く、原告主張の後遺障害の内容・程度と一般的には甚だしく均衡を欠くものといわなければならない。

他方、原告は昭和五〇年の本件転落事故で頭部強打の重傷を負つて以来、少なくともそのころから引き続き深刻なうつ状態にあり、本件事故後の訴えに係る強度の健忘、視野狭窄(そもそも医学的見地からは原告にかかる症状の存在を認めることは疑問というべきである)、イライラ、狂暴、不眠、手足のしびれ、足底等のつれる感じ、全体に気力の喪失等々諸症状のほとんどすべてが本件事故前から繰り返しみられていたものであつて、本件事故後新たに発生したものと明確に認定できるものはないというべきである。もつとも、右症状は本件事故後相当期間を経て全体に進行している傾向が認められないではない。例えば、妻に対する暴力行為はその程度・頻度ともに著しい進行をみている。しかし、右は本件事故後一年九か月余も経た筑波電設退社(昭和六〇年六月三〇日。退社の原因も本件事故と相当因果関係があるものと認めるには足りない)の後であつて、失職のため生活能力を失い、全面的に妻の稼働に頼らざるを得なくなつたころからのことであり、前記認定の原告の性向、年齢に徴するとかかる状況下で適切な打開策、将来への展望を見い出せないまま、従来からの暴力性が最も身近な存在である妻に対し激化していつたことは経験則に照らしてうなづけないことではなく、そこには本件事故とは本来かかわりのない原告本来の内面的な要因が複雑に影響し合つているであろうことも容易にうかがわれるのであるから、こうした面の厳密な分析、検討を措いて、直ちに本件事故に原因を求めるのは、法的見地からの因果関係判断においては短絡にすぎるものというべきであろう。また、本件事故後に左不全麻痺、てんかん、けいれん等の神経障害症状の診断名が出てくるが、これらはいずれも本件事故直後から長期にわたつて原告の病状を観察し、診断に当たつた豊島中央病院にはみられず、事故後約一年半も後になつて受診した代々木病院(同病院は長期にわたり原告の従前の事故歴、病歴を含む全生活歴について正確な情報を得ぬまま、原告の主張ないし訴えに従つて治療、診断を行つている)において下されたものである。しかも、右のうちてんかんはその発症自体これを明確に認めるに足りず、その余は他覚的所見に乏しい上、右診断の裏づけとなつている諸症状自体は本件事故前からみられるものである。なお、右症状についても従前と比較して進行が考えられるところであるが、そこにも暴力行為に関すると同様の他方面にわたる分析、検討が必要とされるのであつて、かかる考察を等閉視して当然に外傷性の症状悪化がみられるとすることは事柄の性質上公平を欠き、許されないものというべきである。

以上検討したとおりであつて、少なくとも本件事故により頭部外傷性の後遺障害発症を認めることは困難といわざるを得ない(本件ではそもそも原告の現在の症状を頭部外傷性のものと断定し得るに足りる証拠はないと解するのが相当というべきであろうが、仮に頭部外傷性のものであるとした場合、本件事故と本件転落事故の態様・程度、事故後の症状を比較してみるとき、後者による影響と推認するのが合理的な見方というべきであろう)。なお、代々木病院ないし中沢医師の所見(甲第一〇号証の一、二、第二〇号証、第二三号証の一ないし三)、筑波電設の書簡ないし陳述書(甲第一九、二一号証)は、前記検討したところから明らかなとおり、右認定判断を左右するには足りないというべきである。

すると、本件事故による原告の受傷は右肩甲骨骨折ほかの挫傷にとどまることになるが、右受傷も豊島中央病院退院当時(昭和五八年一〇月二六日)ころには、後遺障害もなく順調に治癒状態に向つていたものというべきである。

三  被告らが本件事故について原告に対し損害賠償責任を負うことは被告らの自認するところであつて、被告らは本件事故後と相当因果関係の認められる限度で原告に生じた損害を賠償すべき責任があるというべきである。

四  進んで損害について判断する。

1  治療費、通院交通費 一七三万二四五〇円

前記認定判断によれば、本件事故と相当因果関係のある頭書費用相当損害は、当事者間に争いのない一八二万六四五〇円(請求原因4(一)の(1)ないし(4)の治療費合計一七三万二四五〇円と(二)の(1)ないし(3)及び(5)の通院交通費合計九万四〇〇〇円)の限度でこれを認めるのが相当であり、右を超えるその余の請求部分は理由がなく失当というべきである(被告らは豊島中央病院の症状固定診断日昭和五九年七月一〇日を目安としたものであるところ、前記認定のとおり、原告には右肩甲骨骨折その他の挫傷のほかに本件事故による後遺障害は認め難く、また右受傷も遅くとも昭和五九年二月末ころには完全に治癒しているものと認めることが十分可能なのであるから、被告らの右損害算定の範囲、時期に関する主張は十分合理性があるものというべきである)。

2  入院雑費 三万八〇〇〇円

入院雑費相当損害が三万八〇〇〇円であることは当事者間に争いがない。

3  看護費用 一〇万九五九八円

前記入院時の病状に徴し、看護費用相当の損害は当事者間に争いのない昭和五八年九月三〇日までの一〇万九五九八円の限度でこれを認めるが、その余の請求部分は必要性を認め難く、本件事故との間に相当因果関係のあるものとはいい難く、失当というべきである。

4  洋服代、メガネ代 二二万八二〇〇円

洋服代、メガネ代相当の損害主張(請求原因4(五)、(六)は当事者間に争いがないから、これを本件事故による損害と認める。

5  休業損害 二四万二七一一円

休業損害の主張は当事者間に争いがないから、請求どおり本件事故による損害と認める。

6  慰藉料 九〇万円

本件事故の態様・程度、受傷の内容・程度、入通院の経過、被告らの応訴態度等本件審理の経緯その他本件記録に顕れた一切の事情を考慮し、本件事故により原告が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は九〇万円と認めるのが相当である。

7  逸失利益 〇円

前記認定判断のとおり、原告には本件事故により労働能力を喪失するような後遺障害の発生を認めることは困難というべきであるから、右後遺障害を前提とする逸失利益の請求はすべて理由がなく、失当といわざるを得ない。

8  損害の填補

前記1ないし8の損害合計額は三二五万〇九五九円となるところ、原告が被告らから本件事故に関する損害賠償金として三三〇万三九三〇円を受領していることは当事者間に争いがなく、すると原告の損害はすべて填補され、本件事故につき被告らに請求し得べき残存損害はもはやないものといわなければならない。

五  よつて、原告の本訴請求は理由がなく、失当なことが明らかであるからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村啓)

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